こんなに神様と近い港町はないかもしれません。
島根半島の東端、三方を海に囲まれた美保関町は、聖なる岬と呼ばれてきました。国譲りの舞台となった神話の時代から、北前船で栄えた江戸時代、そして今日まで。
神と共に暮らし、海に生かされてきた、このまちのすべてがパワースポットです。海からのぼる朝日に照らされ、新しい一日が始まる場所。ガイドブックでは伝えきれない、ディープな美保関へご案内します。
「古事記」や「日本書記」に記された出雲の「国譲り神話」。その立役者となったのが、美保神社に祀られているコトシロヌシノカミです。出雲の国を繁栄させたオオクニヌシノカミは、高天原の神々から国を譲るように迫られ、息子であるコトシロヌシノカミに返答を託しました。争うことなく譲ることが、最善の道である。
そう英断したコトシロヌシノカミは、手締めの起源とされる天逆手を打ち、海に身を投じて新しい国造りの礎となりました。美保関では今も、国譲り神話を再現した平安と再生の神事が受け継がれ、コトシロヌシノカミは海を守り繁栄をもたらす「えびす様」として親しまれています。
北は日本海、南には美保湾と中海。3つの海に抱かれた美保関は、漁業と海の玄関口として栄えたまちです。美しい海岸線。豊かな海の恵み。自然の地形を生かした漁港。その恩恵を受けながら、人々は海を愛し、海に愛されて生きてきました。江戸時代には北前船の風待ち港として賑わい、一日千隻もの船が出入りしたといわれています。宿屋を兼ねた廻船問屋が軒を連ね、積み荷を運ぶために、海から切り出した青石を敷き詰めた石畳も整備されました。のちに多くの文人が歩いたその路は、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選に選ばれ、「青石畳通り」として往時の面影を今に伝えています。
変わりゆく時代の中で変わらずに残していきたいものがある。
季節や時間によって変わるまちの表情。
そんな美保関の情報を発信します。